
もしも世界が100人の村だったら…。
あまりに有名になり、もはや他に説明もいらない「100人の村」。
数多もの人々を感動させてきたという文章を読むには下記リンクを訪れてみてください。
■もし世界が100人の村だったら
数年前、確かに初めて読んだ時は素直に「面白いな」と思ったものです。
なかなか肌で感じにくい貧富の差などを、100人という単位に置き換えてしまうことで、ぐっと身近なものとして考えさせることができるんだなぁと、感心すらしたのを覚えています。
まあ、100人に置き換えるということは、つまりはパーセンテージなわけですが(笑)。
日本の国家予算を100人の村に縮小して考えると…つまりは、いろんなパーセンテージを100人の村に置き換えることもできるわけで、小学校の社会科教育のネタとしては面白いとは思いますけど(笑)。
老人を助けたり、困っている人を支える仕事に25人が従事しています。
9人が道路やダムをつくり、7人が子供たちにいろいろと教えています。
武器を持って戦争の訓練をする人が6人います。
地方には20人が派遣され、いろいろと手助けをしています。
そして、22人が借金を返済すべく走り回っています。
残る10人は、それぞれいろいろな仕事に就いています。
from 財務省:日本の財政を考えるより、
平成17年度一般会計予算における歳出
1945年8月6日。
核兵器が、世界で初めて人類の頭上に落とされた。
HIROSHIMA。
広島でなにがあったか。
皮膚が溶け、はがれ、眼球を失い、細胞組織がボロボロとなった人体の姿。
それが人類の行ってきたことなのだ。
決して目をそらすな。
■広島原爆写真館
■広島平和記念資料館
■A-Bomb WWW Museum
■原子爆弾による被爆の話
もしも一寸でも「見たくない」と思った人は、幸いである。
誰かと生きる資格を、まだ失っていないからである。
戦争とは、隣人を殺すことに他ならない。
2005年4月のゴールデンウィークが明けた日、都営線でも性差別が始まりました。
■女性専用車両@Wikipedia
なにげなく検索してみると、意外と賛否両論が噴出しているようです。
ここらへんにも大都市圏の交通事情がしのばれます(;´Д`)大変だもんねぇ。
■男性がいないと安心w@秒刊画像ファイルナビゲーター
■ありがたい女性専用車両@鈴木美潮のDonna
■女性専用車両潜入レポート@Nifty:Dairy Portal Z
■女性専用車両に反対する会
ここまで過敏に反応されるというのは面白い現象だと思います。
「女性と男性を区別して扱います」と明言している鉄道会社。
そして「なんで、女だけ?」と怒り狂い、男性と女性という差に固執する男性諸氏。
どちらも同じ穴のムジナに見えてくるから不思議です。
ですが、インターネット論客の方々の意見を聞いていると、どれもこれもが中学社会科レベルの「男女平等」意識を引きずっているようで、その上で「差別だ」とか「悪平等だ」とか言っているにすぎないように思えてきます。
あるいは「なんで、俺だけ?」という感情論もかなり見受けられます。
「平等」ってなんざんしょ?
とりあえず私が指摘したいのは「差別」と「平等」は対立語ではないということです。
つまり「差別」と「平等」が同時に成り立つ事態もありうるということ。
いわゆるアファーマティブ・アクションという考え方のことです。
…女性専用車両がどうかは、また別のお話ですが(;´Д`)
「儀礼的無関心」という言葉を聞いたことはあるだろうか?
社会学者E・ゴフマンが提唱した概念で、電車内では日常的に見られる現象のことだ。
人々が、見知らぬ他人に接触した際に、意識的に無関心を呈示をする現象で、見知らぬ他人同士のあいだで、不要な関わりが生じるのを避けようとしているものと考えられている。
現代の大都市においては、自分以外の人間は「知り合い」と「知らない人」に分類されるようになった。よそ者と違って、知らない人は「単に知らない人」に過ぎないのであって、個々人はそういった知らない人に対して多くの場合「無関心」に振る舞わなければならない。これを「市民的無関心civil indifference」と呼ぶ。この市民的無関心、つまりよけいなコミュニケーションをしないことこそ、都市生活を可能にしている相互行為上の条件なのである。
(http://www004.upp.so-net.ne.jp/tsutsui/lecture/sociology/sociology_06.htmlより)
だが、現在、インターネットで遊ぶことの多い人にとっては「儀礼的無関心」は、まったく別の意味を持つ言葉として用いられている。
すなわち、この用語を旗印に、ハイパーリンクの是非が問われたのだ。
ハイパーリンクはWorld Wide Webの根幹的な機能である。
リンクのできないインターネットなど、ページをめくれない雑誌と同じようなものだ。
だが、それでもリンク問題は以前から侃々諤々と議論され続けている。
姿を変え、形を変え…。
その根底に眠るのは、人間そのものに肉薄するほど根の深い問題なのだ。