›2005年 3月 05日

[ 範疇 : 愛しの腐れ芸術 ]

新宿アラーキー街ヌード

Posted by azathoth at 10:46 / 2 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 新宿が好きだ。
 高校時代、栃木の田舎に住んでいながらも月に一度は新宿を訪れていた。
 周囲の同級生たちは受験勉強に励み、休み時間ともなると塾の話題で盛り上がるような進学クラスの最低の青春時代に、塾にも行かず、放課後はゲーセンで遊び惚けては、見回りにやってきた生徒指導教員の目から逃げ続けた私にとっては学校とは、ただ勉強するだけの場所だった。
 それほどまでに勉強して、どうしようというのだろう? 
 そんなこともわからず他人に流されるまま、無駄に浪費していた青春時代。
 しかも男子校という色恋の甘酸っぱい香りも期待できない最悪な環境にあって、ますます私の精神は屈折していったのであろう。吐き気がするほど呪われた青春時代。
 だが、新宿だけは違った。
 今にも崩れそうなほど乾燥しボロボロに荒れた私の心にも、新宿は暖かかった。
 エロス、雑踏、ネオン、BGM、街並、そのすべてが私を暖かく許容してくれた。包んでくれた。

地下鉄へ

 折しも小説家の夢を抱き続けていた私は、当時、夢中になって読んでいた菊地秀行の「魔界都市〈新宿〉」シリーズで舞台とされていた近未来的な新宿をガイドブックとして、現実の1990年代の新宿を彷徨い歩いたりもした。
 東京生まれの人にはわからないだろう。
 寺山修司が書いたという「東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京」という文字に象徴されるように、地方出身者にとって東京とは、まさに危険な魅力に満ちた魔界都市そのものなのだ。
 コギャルという単語が現れる前の時代に生きた私にとっては、新宿こそが東京の中心だった。
 今でも、渋谷はポップカルチャーであり、新宿には未だに文学・芸術の息吹が色濃くへばりついていると確信している。
 
 その芸術とは、綺麗に着飾ったり、お洒落に気取ったりするアートのことではない。
 吐き気を催し、苦悩に身悶えするような生々しい人間の生のことである。
 新宿には昔ながらの日本的な要素と、アジアン、そして西洋的な要素がみごとにチャンプルーされた複合型文化都市なのだ。今でもその魅力は滅びてはいない。
 
 そして、そんな新宿の魔力に取り憑かれた男たちが、また2人。
「森山新宿荒木展」
期間:2005.1/15(土)〜3/21(月)
会場:東京オペラシティアートギャラリー
             (都営新宿線・初台駅)
開館時間:平日12:00〜20:00
     金土12:00〜21:00
休館日:月曜日(最終日を除く)
入場料:一般¥900、学生¥700、ガキ¥500

 天才アラーキーと森山大道という日本でも屈指の写真家が「新宿」をテーマに撮影した膨大な写真が展示される写真展、いわば「1粒で2度美味しい」企画となっている。もちろん、私のように新宿が好きな方から、私のようにアラーキー、森山大道が好きな人まで、あまねく老若男女にお勧めできる展覧会なのだ。

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›2004年 11月 17日

[ 範疇 : 愛しの腐れ芸術 ]
[ 範疇 : 映画のある部屋 ]
[ 範疇 : 倫理の小道 ]

カラスの叫びを聞いたか?

Posted by azathoth at 14:52 / 0 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 すっごい以前に見た映画だが、ミニシアターで大旋風を巻き起こし、日本に「マリアカラス・ブーム」なるものを引き起こした映画がある。
「永遠のマリアカラス」
 
 価格: ¥4,935 (税込)

 
 マリアカラスというのは、オイラも門外漢ながら、その名は知っている世紀の歌姫。
 まあ、拙者が知っている噂ってのは「悪魔に魂を売って、その声を手に入れた」とか「いつも彼女の傍には使い魔が控えていた」などと若干オカルトに偏った流言飛語の類いなんですけどね。(ゎ
 この映画は実際のマリアカラスの録音を用いて、口パクの要領で役者が演技し、唄い踊るというもの。簡単に言えば、俳優陣のプロの演技と、マリアカラスという希代のオペラ歌手の歌声が同時に堪能できるという美味しい映画なわけだ。
 くわしいストーリーなどについては、こちらを参照してみて下さい。ひとりの女性の苦悩や自分自身へと対峙する姿などが描写された、ある意味、遅咲きの青春映画とでも呼べるような佳作です。
 それが例えば「伝説的な芸術家マリアカラスの伝記映画」だったら、本当につまらなかったと思うんですよね。人間、あまりにも自分と掛け離れた存在に対しては興味を抱けませんから。
 この映画の素晴らしい点は、そのマリアカラスの姿が、たとえばオイラに置き換えることもできるということ。
 人間が、自分自身のアイデンティティや自己像に対して葛藤するというのは、永遠の問題ですから。
 それを放棄した中年以降の恥知らずは、人間ではなく、むしろ生ける屍と呼んだ方がいいのかもしれません。

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›2004年 8月 03日

[ 範疇 : 愛しの腐れ芸術 ]
[ 範疇 : 身辺雑事 ]

毛皮のマリー万有引力版

Posted by azathoth at 14:42 / 2 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 寺山修司
tenjyousajiki.jpg
 1983(昭和58年)47歳で完全なる死体となるまで、彼が生み続けてきた言葉は、いまだに若者の心に巣食い、蝕み続けている。
 アバンギャルド、ノスタルジック、サイケデリック、エロティック、アングラ、魔術的、猟奇的、変態…。
 そんな形容詞で賞賛される彼という存在が、一般大衆にも歓迎され、CMに出演するくらいポピュラ−でありえたというあの時代は、なんと豊かな時代だったのだろう。寺山の存在を振り返るに、私などは現代との格差に絶望すら覚えてしまう。あの画一的で紋切り型な「有名人」という存在たちはいったいなんだろう。怪人だったタモリも、今ではただのオッサンになりさがってしまった。
 神話のない時代。
 
 そんな寺山が主宰していた演劇実験室◎天井桟敷において上演されたのが「毛皮のマリー」という戯曲だ。まだ丸山明宏だった頃美輪明宏が主演した伝説の1967年初演。それから数々の劇団によって舞台に掛けられ、そしていよいよ天井桟敷で音楽・演出を担当していたJ・A・シーザーが主宰する演劇実験室◎万有引力、いわば寺山の遺伝子を受け継ぎし者たち、の手によって2004年7月、装いも新たに復活することとなった。
 演劇実験室◎万有引力版「毛皮のマリー」
 降臨の地は、なんと亀戸(笑)。

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›2004年 5月 13日

[ 範疇 : 愛しの腐れ芸術 ]
[ 範疇 : 哲学 ]

クオリア現像所

Posted by azathoth at 03:28 / 0 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 「クオリア」ってご存知だろうか?
 私が初めて、その言葉に出会ったのがラマチャンドラン博士の好著「脳の中の幽霊」であった。

V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー, V.S. Ramachandran, Sandra Blakeslee, 山下 篤子
"脳のなかの幽霊"

 それから日本人でも永井均先生やら茂木健一郎というソニーのおっさんやらが、ボソボソと呟いているのを発見するようになった。現在ではミーハーな哲学ファンの輩が例によって騒ぎ立てているようだが…正直、脳生理学に興味の無い連中が「クオリア」にそこまで夢中になる理由がよくわからないのだ…。<私>の問題と深く関わっている? だとしたら<私>の問題なんて、すべてクオリアが生み出したものでしかないだろう。あくまでもクオリアは<私>の問題の本質には関わりのないものだと私は考えている。
 
 それはさておき。

 クオリアとはなんぞや? 
 くわしくは茂木のサイトを参考にしていただきたいが、簡単に言えば「事物を感覚した時に感じる生々しい質感」を指す言葉である。
 たとえば視神経や視覚皮質あたりに直接、赤色を感じるような状態を用意できたとしても、そこには、いま、まさにここに実際に存在する赤色を見ているときのような生々しさを感じることはないだろう。
 それがクオリアである。
 私なりの理解が正しいならば離人症の時に失われる現実感」と言っても差し支えないだろうと思われる。
 
 とにかく、昨年頃から、このクオリアというものが私の中で大問題になってきているのだ。

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›2004年 4月 28日

[ 範疇 : 愛しの腐れ芸術 ]
[ 範疇 : おっさんの知恵袋 ]
[ 範疇 : 音楽的生活 ]

互いに抱擁せよ、幾百万の人々よ!接吻を全世界に!

Posted by azathoth at 14:32 / 2 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 2002年12月、まさに大学再入学のために哲学史の勉強に追われていた頃、私はクラシック音楽と出会った。
 それまでにも確かに大バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」などは好きだったし、クラシック音楽はそれほど嫌いでもなかった。が、やはり、まず「クラシック好き」と言われる人のイメージが悪すぎたのだ(笑)。もうほとんど「ジャズ好き」と言われる人と同じくらいイメージが悪い(笑)。
 高尚で、綺麗で、壮大で、知的で、文化的で、お高くとまっていて…。
 つまり、クラシック音楽などはロック中心だった私からすれば、とっても退屈で綺麗なだけの気取ったものだと思っていたのだ。あるいは学校の授業で音楽室で半ば強制的に聴かされるだけの音楽だった。やはり退屈なイメージはつきまとう。
 だが、なにげなく「ベートーヴェン交響曲第9番合唱付」を始めて聴いた時に、その考えは、いとも簡単に覆されることになった。

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›2004年 3月 28日

[ 範疇 : 愛しの腐れ芸術 ]
[ 範疇 : 身辺雑事 ]

毛皮族「Deepキリスト狂」

Posted by azathoth at 12:50 / 0 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 職場に演劇好きの人がいる。
 私も後追いのファンとはいえ寺山修司の実験演劇が好きだったため、ちょろちょろと演劇について語ったりしていたのだが、さすがに自分自身も演劇に参加してしまうほどの人であり、寺山以外の演劇知識は皆無に近い私などは足下にも及ばないと常々感じていたわけで。
 そんな彼女が、ふとチラシを持って来た。
 それが毛皮族11回公演「Deepキリスト狂」であった。
 彼女曰く「クラゲさんにオススメ」とのこと。
 ちなみに彼女は「ナンセンスな演劇が好き」と公言する趣味の持ち主。白塗り&異形の演劇を愛する私としても似た趣味なんだろうし、誘う水あらば…の心境で、さっそく同居人であるザシキ師匠と観に行くことになった。
 
 たまたま出産を数ヶ月後に控えた友人と会うことにもなり、一緒に下北沢をそぞろ歩き。
 まさかWildMildに会うとは思わなかったけど(笑)。
 夢に向かって音楽を続ける姿には、是非とも頑張って欲しいものです。
 …つーか、大活躍じゃん(;´Д`)凄え!!

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›2004年 3月 20日

球体関節人形展

Posted by azathoth at 16:02 / 0 コメント / 0 TrackBack [EDIT]

 それは数日前、急に四谷シモンをザシキ師匠に紹介したことから話は始まる。
 きっかけは「節分では何故、年の数だけ豆を食べるの?」ということで、抽出された「厄払い」と「撫物」というキーワードから、陰陽道的な「人形(ヒトガタ)」を連想し、そこから数ヶ月前の『美術手帖』10月号の記事を連想するに至ったのであろう。
 四谷シモンというと、私の中では澁澤龍彦の図録などに良く登場していた危険な魅力を持っ