
久しぶりの更新ですが、今回は個人的な覚え書きとして、ニーチェの文章を書き連ねるのみになります(;´Д`)ごめんなさい。
本来は、ローカルの文書ファイルなどに保存すればいいんだろうけど、まあ、せっかくだし、皆さんの勉強の助けにもなるかなぁと思って公開いたします。
底本としたのは渡邊二郎(編)『ニーチェ・セレクション』平凡社ライブラリーです。

あくまでも個人的覚え書きなので、ニーチェの思想について最低限知っておくべきことが抜けていたり(笑)、あるいは偏った箇所の抜き出しになっている可能性がありますが、まあ、これもニーチェの言葉なんだな、と思って読んでいただければ幸いです。
さらにツッコんで勉強したい人は、自身で『ニーチェ・セレクション』を手に取られるか、あるいは代表的な著作である『ツァラトストラはかく語りき』や『善悪の彼岸』『道徳の系譜』などを読まれてみてはいかがでしょうか。
なお、行頭の数字は、底本中のページ数を表しています。
また行末のカッコの中は底本中で示されている引用箇所です。
底本中ではローマ数字となっている箇所も、入力速度の関係上、すべてアラビア数字にいたしました。ご容赦!
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60『世界の破滅者。──この人物は何かがうまくゆかないと、最後には腹を立ててこう叫ぶ。「世界中全部が滅びてしまえばいいのに」と。この嫌悪すべき感情は、次のように推論する嫉妬心の絶頂なのである。すなわち、私は或るものを所有できない。だから、世界中全部に何ものも所有させたくない。世界中全部が無くなってしまえばいいのだ、と。』(曙光304)
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62『日常の尺度。──極端な行為は虚栄心に、平凡な行為は習慣に、瑣事に囚われる行為は恐怖心に基づくものと見れば、めったに間違わないであろう。』(人間的1-74)
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63『好意的な空とぼけ。──人々と交際するときには、彼らの行動の動機を見て見ぬふりをする、好意的な空とぼけが、往々必要である。』(人間的1-293)
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64『働き者だけを友人とせよ。──怠け者を友人にすると危険である。というのは、怠け者はあまりすることがないので、友人たちのすることなすことをあげつらい、しまいには干渉してきて、厄介な人物になるからである。だから、働き者とだけ友情を結んだ方が利口である。』(人間的2-260)
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68『うまくゆく友情。──友情がうまくゆくのは次の場合である。相手を非常に、しかも自分自身よりもずっと尊敬している場合。相手を自分と同等に愛しながらしかも自分ほどには愛していない場合。最後に、交際を円滑にするために、親密さという優しい装いや柔毛を添えることを心得ていて、しかも同時に、本当の親密さにも陥らずまた自他の混同にも陥らないという賢明なやり方が採られている場合、である。』(人間的2-241)
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69『短期間の多くの愚行──それが君たちのもとでは恋愛と呼ばれる。短期間の多くの愚行に終止符を打つもの、それでいて長期間にわたる一つの大きな愚行であるもの、それが君たちの結婚だ。』(ツァラ1子供と結婚)
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70『君は女性たちのところへゆくのか。それでは鞭を忘れるな!』(ツァラ1老いた女と若い女)
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71『私の嫌悪。──およそ効果をあげるために、爆弾のように炸裂せずにはおれない人間たちを、私は好まない。彼らの近くにいると、突然聴覚──もしくはそれ以上のものを、失う危険がいつもあるのだ。』(知識218)
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73『肯定的かつ否定的。──この思索者は、自分を反駁してくれる相手を誰一人として必要としていない。そのためには自分自身だけでこと足りるからだ。』(人間的3-249)
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78『自分の行為に対し卑怯な振る舞いをしないように! 自分の行為をあとになって見殺しにしないように!──良心の呵責は下品なことである。』(偶像-箴言10)
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111-『精神がもはや支配者とも神とも呼ぶことを好まないこの巨大な竜とは、何であろうか。「汝なすべし」が、この巨大な竜の名前なのである。しかし、獅子の精神は言うのである、「われ欲す」と。
「汝なすべし」が、獅子の精神の行く手をさえぎっている。それは、金色にきらめく一個の有鱗動物であって、その鱗のどれにも「汝なすべし!」ということが、金色に輝いている。
千年にわたるもろもろの価値が、これらの鱗に輝いている。こうして、あらゆる竜のうちで最も強力なこの竜は言う、「事物のあらゆる価値、──それが私の身の上で輝いているのだ」と。
「あらゆる価値はもうすでに創造されてしまっており、そしてあらゆる創造された価値──それは、この私なのだ。本当を言えば、もはや『われ欲す』ということなど存在してはならないのだ!」このように竜は語る。』(ツァラ1三つの変化)
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113『小児は、無垢であり、そして忘却である。一つの新しい開始であり、一つの戯れであり、一つの自分から回り出す車輪であり、一つの最初の運動であり、一つの聖なる肯定を言うことである。
そうなのだ。創造の戯れのためには、私の兄弟たちよ、一つの聖なる肯定を言うことが必要なのである。すなわち、精神は今や、自分の意志を意志するのであり、世界を喪失した者は、自分の世界を自分のものとして獲得するのである。』(ツァラ1三つの変化)
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133『二 キリスト教の没落──その道徳(道徳はキリスト教から切り離しえないものである)がもとになっての没落──。キリスト教的道徳が、キリスト教的神に刃向かうのである(誠実さの心性が、キリスト教によって高度に発達させられた結果、今やあらゆるキリスト教的世界解釈および歴史解釈の持つ虚偽と欺瞞に対して嘔吐を催すようになったのである。「神が真理である」から「一切は虚偽である」という狂信への反転。行為の仏教…)。』(力-ヨーロッパのニヒリズム-計画によせて)
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134『けれども、道徳が育成した諸力の一つに、誠実さがあった。この誠実さが、ついに道徳に刃向かい、道徳の目的論、つまり道徳の打算的な考察の仕方をあばき出し──こうして今や、この永年にわたった、血肉した、だから自分の外へ捨て去る望みのないような欺瞞、を見抜く洞察が、まさしく刺激剤として働くのである。われわれが今われわれ自身のうえに確認するものは、永年の道徳解釈によって植えつけられた欲求であり、この欲求が今われわれには、不真実なものへの欲求と見えてきているのである。他方この欲求は、価値がそれにかかっていると思われ、そのもののゆえにわれわれが生きることに耐えているゆえんのものなのである。この敵対関係──つまり、われわれは認識をえたのにその認識をわれわれは諒承しえず、かといってまた、われわれが自ら自己欺瞞をしたいと思ってもその瞞着内容をわれわれはもはや諒承してはならないということ──これが、一つの解体過程を結果してくるのである。』(力5)
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142『この場合人間は、実在の概念をどこから取ってきたのであろうか。──なぜ人間は、変転、欺瞞、矛盾を、ほかならぬ苦悩と受け取るのか。そしてなぜむしろそれを自分の幸福としないのか…──。
消滅し、変転し、転移する一切のものに対する軽蔑、憎悪。──恒常的なものを尊ぶこの評価はどこからくるのか。明らかにここでは、真理への意志は、たんに、恒常的なものの世界の中に入りたいとする熱望にすぎない。
感官は欺くが、理性は誤謬を訂正する。したがって理性こそは恒常的なものへいたる道であると、ひとびとは推論した。最も非感性的な理念こそは「真の世界」に最も近いところにあるに違いない、というわけである。──感官から、たいていの不幸な打撃が見舞ってくる、──だから感官は、欺き手であり、騙し屋であり、破滅を導いてくるものだ、というわけである。』(力585)
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175『真理とは、それなくしては或る特定の生物種族が生きることのできなくなってしまうような種類の誤謬である。生にとっての価値が結局は決定的なのである。』(力493)
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180-『われわれのさまざまなあり方に対して責任を取ってくれるような誰か或る人(神、自然)をわれわれが空想するや否や、したがって、われわれの実存や幸福や悲惨はその誰か或る人が意図的にやったことなのだと見なすや否や、われわれは、生成の無垢を台なしにしてしまう。そのときには、われわれを通して、またわれわれを介して、何か或ることを達成しようとしている誰か或る人を、われわれは持つことになる。』(力552)
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191-『感官が感受することがらや、精神が認識することがらなどは、けっしてそれ自身で完結してはいない。ところが、感官と精神は、自分たちこそ一切の事物を締めくくっているものなのだと、君に言いきかせようとする。それほどまでに感官と精神は自惚れているのだ。
感官も精神も、道具であり、玩具なのだ。それらの背後にはさらに、本当の自己が潜んでいるのだ。この本当の自己が、実はまたさまざまな感官の眼をもって求め、さらにまた精神の耳をもって聞き耳を立てているのだ。
たえず、この本当の自己は、聞き耳を立てたり、求めたりするのだ。それは、比較し、制圧し、占領し、破壊する。それは支配し、そしてまた自我の支配者でさえある。
私の兄弟よ。君の思想と感情の背後には、一人の強力な支配者、一人の知られざる賢者が控えている。──その名が、本当の自己という奴なのだ。君の肉体の中に、その者は住んでいる。その者は、君の肉体なのだ。』(ツァラ1肉体の軽蔑者)
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252『やむをえざる必然的なものは、私を傷つけはしない。運命愛は、私の最も内奥の本性である。』(この人-ヴァーグナー4)
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278『これが、生きるということだったのか。よし! それならば、もう一度!』(ツァラ3幻影と謎)
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288『おお、お前たち、陽気にさわぐ道化師たち、そして手廻し風琴たち!』(ツァラ3快癒しつつある人)
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「ニーチェは哲学者じゃない」
そう言い切った人がいる。
それを聞いた当時の私は、判断保留をしながらも、ニーチェの哲学に対して「うさんくささ」を感じていた。それがそのうち軽蔑に転じ、反抗となった。
久しぶりに再会したニーチェは、確かにそのアジテーションにも似た舌鋒によって、哲学というよりも、ある一つの価値観を押しつける宣教師のように見ることもできるが、しかし、その言葉の端々には、きらめく洞察があることに気がつくことができた。
多少なりとも私自身の勉強が深化したこともあり、その「価値」を理解することができるようになったのであろう。
そのときに、私は「文章を読んで軽蔑するのは、自分の不勉強ぶりを証明しているだけだ」と反省したのである。別に聖書を読もうが、エロ本を読もうが、それを軽蔑する必要はない。文章は、個々人のレベルに合わせて、その世界を開示している。あとは読み手が自由に、そこから必要とするものを掘り返せばいいのである。
たとえば、ヴィトゲンシュタインが「デラべっぴん」を読んだとしたら──個人的な性癖から烈火の如く憤怒する可能性が高いが(笑)──私などが同誌を開くよりも、様々な哲学的考察を、そこから生むことができるであろう。
そして、私のこのような言葉すらも、ニーチェの射程距離には含まれている。
惜しむべきは、最終地点に「力への意志」と「世界」がただあるだけであり、それらに対する、あらゆる解釈を認めることのできないところに、学問となりえない点があるだろう。ただ、了解するしかないのだ。
だからこそ、力があるのかもしれない。
だが、その点については、まだ論じるには、私には早い。
さらなる深化を経て、再び論じてみたい…いや、論じざるをえないことであろう。
初学者に対しては、文章に酔うな、とだけ言っておけば充分だろうな(笑)。
クラゲ舎さんは骨太な思想だなあー。
よく働き、よく飲み、子育て、そしてさらに
哲学書、ってあなた!
すっげー体力!!!
ほんとテツガクには体力が必要だ。
ニーチェは体力がないところで哲学してたみたいだけど。
で、あなたはでらべっぴんを読んで何を思った?
> で さん
骨太…ですか?(;´Д`)
本人としてはテキトーに生きているだけっぽいんで、世間の皆様に申し訳ないと思うことも多々あります(笑)。たまたま好きで読む本が、こういった種類ってだけで、漫画週刊誌を読む人たちと表面的には大差ないんじゃないでしょうか。
ヽ(´ー`)ノ
実は体力にあまり自信が無いので、ニーチェとか読むと疲れるんですよね(;´Д`)だから9時間くらい寝ていたりするわけです(笑)。
寝ているから、まあ、読めるのかなぁって部分もなきにしもあらず(笑)。
最近では、逆に漫画とか読んだ方がヘトヘトになりますがね(;´Д`)
> でらべっぴんを読んで…
とりあえず、裸のおねーちゃんに興奮してましたね(笑)。
わざわざ高い金払ってまで購入したのは、一定の目的があるからですし(笑)。
…いやぁ、若かったなぁ(´ー`)y-~~
もしも、現在、読むとしたら、たぶん写真の構図やらポーズやら、モデルの表情やら、ギャラの金額なんかを気にしそうです(笑)。
うーん、ブログへのコメントは久しぶりなんで、いまいち調子出ないです(;´Д`)ごめんなさい。