›2005年 8月 08日

[ 範疇 : 倫理の小道 ]

なにも学ばぬ人類たちへ

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 1945年8月6日。
 核兵器が、世界で初めて人類の頭上に落とされた。
 HIROSHIMA。

 広島でなにがあったか。
 皮膚が溶け、はがれ、眼球を失い、細胞組織がボロボロとなった人体の姿
 それが人類の行ってきたことなのだ。
 決して目をそらすな。
 ■広島原爆写真館
 ■広島平和記念資料館
 ■A-Bomb WWW Museum
 ■原子爆弾による被爆の話

 もしも一寸でも「見たくない」と思った人は、幸いである。
 誰かと生きる資格を、まだ失っていないからである。
 
 戦争とは、隣人を殺すことに他ならない。

 人間たちは本当に戦争が好きだ
 広島・長崎から60年しか経っていないというのに、いまだにイラク戦争のような意味不明な戦争すら絶えることがなく、あれよあれよと新しい火種が生まれては、無数の命が奪われていく。
 有史以来、人類が起こしてきた戦いの数々を見るだけでも、いかに人類が戦争好きなのかが痛感できるであろう。
 戦争こそは、人類の死に至る病なのだ。
 ■統合戦争辞典
 
 貴重な青春時代を戦争で潰された不幸な世代たちがいる。
 彼らにとっての青春は戦争であり、戦争の否定は、まるで青春の否定にも錯覚してしまうのかもしれない。
 だから老人たちは懐かしそうに戦争の話で盛り上がる
 老人たちは嬉々として戦争を語る
 だが、そこで「戦争が良い」と錯覚してはならない。
 戦争を否定しても、その時代に青春時代を送った老人たち自身を否定しているわけではないのだから。
 
 しかし、人間は愚かなものだ。
 戦争に加担したという罪悪感があるかぎり、戦争を悪と呼ぶことは、その彼ら自身を否定しているかのように聞こえてしまうのだろう。

 10年程前から自由主義史観というものが急激に流行りはじめた。
 産經新聞、新しい教科書をつくる会、「ゴーマニズム宣言」信者や右翼などを核として、戦争を否定したくないジジイたちを巻き込んで、それなりの勢力を誇るようになった考え方だ。
 とある地方で、自由主義史観の盛り込まれた「新しい歴史教科書」が教科書に採択され、韓国や周辺諸国から文句をつけられ、国際問題になったのは記憶に新しい事件だと思う。
 自由主義史観の連中が最初に言っていたのが、いわゆる「日本を戦犯国家だと思うのは自虐的な考え方である」という主張だ。
 そしてフロイトの防衛規制よろしく、「南京大虐殺はなかった」「日本に戦争責任はない」などと、いくつかの妄想をも巻き込みつつ、オッサンたちが戯言を言いはじめるようになった。
 そして、そういう歴史観こそ日本人が初めて自信を持てるようになると断言した。
 
 だが、虚栄で塗り固められた自分の姿で、なにを誇ればいいのだろう?

 まるで、何処から見てもオタクな青年が「俺、昔は暴走族にいて、空手も試合に出るくらい強かったんだけど族にいるのがバレて破門されちゃったんだよね…」などと得意満面に語っているような、要するにフカシ野郎と大差なく思えてしまう。
 嘘、もしくは妄想なのか。
 そこまでして自分を良く見せたいのかと、改めて人間の自己顕示欲に唖然としてしまう。
 
 確かに、戦争をした自分の過去を恥じるばかりでは、結局は、自由主義史観の連中と同じ地点にたどり着いてしまうのかもしれない。それほどまでに人間は弱い存在だ。
 だから過去は過去として認めた上で、その上に築き上げられた現在を誇れば良いのである。

 もしも誇れるような現在がないのであれば、だったらそれを認めた上で、さらに将来的には誇れるような自分の姿を持てるように、今から頑張れば良いだけである。

 そこで、もしも現在の自分が貧相なことを認めず、嘘で塗り固めて自分自身を隠してしまえば、今後何十年経ったとしても自分自身を誇れるようになるのは難しいだろう。
 そして、一生を嘘で歩むようになる。 

 日本という国家が、戦争においてなにをしたのか、その真実を明らかにすることはできないのかもしれない。
 だが、それよりも、お前自身は戦争で何を見てきたのか? 何を感じたのか?
 自分に語りかけてくる自身の言葉には真実も嘘もないのである
 
 国家政治などは、結局は多数決で真実が決まってしまう子供のお遊戯みたいなものだ。
 そんなことよりも、とりあえず生きてしまっている自分自身の言葉を語ることの方が、よっぽど大切なのではないだろうか?
 国境線はコロコロと変わるが、人間であることは変わらないことなのだ。
 ■昨日・今日・明日:回想録

 戦争の5W1H。

 【Why】なぜ戦争をするのか?
 猫を見ていれば良くわかるが、彼らは不満があると、すぐに牙を剥きだして威嚇を始める。
 犬やサルも威嚇をしては、喧嘩をするのは周知の事実であろう。
 そして人間も、面白いほど喧嘩が大好きだ。
 誰かが嫌い、誰かが憎い、誰かが邪魔だ…。
 そういった気持ちが国家レベルで集約されたときに戦争は始まる。
 「主義主張が異なり、なんとなく気に喰わないから戦争する」
 「自分たちの利益のために戦争する」
 近所のオッサンたちの喧嘩と、どんな差があるだろう?
 誰かを嫌いに思う気持ちが、すなわち、戦争の原動力になるのだ。

 【What】なにを戦争と呼ぶのか?
 いままでは国家レベルの共同体間の紛争を「戦争」と称してきた。
 もしくは暴力団同士の争いごと。
 だが、その火種は、我々の身近にある「ご近所付き合い」や「友人関係」レベルにあることが明らかになった現在、そういった隣人や友人とのイザコザすらも「戦争」と呼んでも良いのではないだろうか?

 【Who】誰が戦争犯罪者か?
 戦争と同時代をすごした我々全員が戦犯である。
 イラク戦争を止められなかった地球人全員が、イラク国民に対して謝罪しなければならない。
 誰かが悪であり、誰かが善であるといった2元論的な考え方は、結局は戦後の政治情勢が生み出す妄想にすぎない。
 「勝てば官軍」は、もう忘れよう。

 【Where】戦争はどこで起こるのか?
 我が家でも起こりうる。
 東京都でも起こりうる。
 その規模はさまざまだが、アジア各地でも起こりうるし、大切な隣人が無惨にも殺されてしまうことは可能性として否定することはできない。

 【When】 いつ戦争が起こるのか?
 同様にして、今まさに起こっている。
 明日起こるかもしれない。
 昨日、起こっていた。

 【How】どのように戦争がなされるのか?
 誰かが、誰かを嫌うときに、道は戦争へと開かれる


 以上のように書いてくると、このように思われるかもしれない。
 「人間が動物である以上、戦争は不可避なのかもしれない」
 「人間にとって、戦争は自然なことなのだ」
 
 だが、違う。
 たとえば誰かに殴られたとしても、その相手が恋人だった場合と、見ず知らずのオッサンだった場合と、親だった場合とで、その意味合いは大きく変わってくることだろう。
 残念ながら人間は、純粋に行為だけを取り出して判断することができないのだ。
 人間は、その意味で判断をしてしまう
 だから別の人間だったら許せることでも、その人物では許せなくなり、結果として憎しみを抱いてしまったりもする。
 
 だが、意味合いなど、いくらでも変えることができる。
 人間が凄いのは、その改変を、意識的に行うことができることだ。
 だから、戦争は不可避なものではないのである。
 
 そして、戦争は、人間の自然な状態でもない
 怒りに染まり、あらゆるものが憎く思えるような状態に陥ってみれば一発で理解してもらえるだろうが、それは決して普通の状態ではない。
 自分自身としても楽しい状態でもない。
 できることならば、避けた方が望ましいような状態なのだ。

 確かに怒ること人間に備わった感情のひとつかもしれない。
 だが、だからといって良い状態ではないのである。
 
 生まれ持った動物としての状態こそが「自然」で良いと思うのならば、決してトイレに行かず、部屋中に糞尿をまき散らして生活してみればいい。
 夜は星空の下で眠ればいい。
 そして犬や猫、植物の実などを探してきては毎食の食事とするべきであろう。
 それでなにかしら不都合を感じるようであれば、貴方は立派に人間として社会化されている存在だということになる。…ご安心召され。
 
 やたらと怒りまくり、そこかしこで怒鳴りまくるようなオッサンがいる。
 そんな人物を見たときに「単細胞」とか「低能」だと思い、軽蔑しやしないだろうか?
 つまりは、社会化された人間にとって、怒りは、やはりTPOを必要とするくらい不自然なことなのだ。
 
 以上のことから、戦争は良くないと断言される。
 そして同時に、戦争を回避する方法も示された。

 悠久の歴史の中で、我々人類は常に戦争とともに歩んできた。
 だからこそ、戦争を放棄することは本当に難しいことがよくわかる。
 まさにメフィストフェレスの甘い誘惑、そして極めて単純な解決策──暴力
 だが、結果として、それは大切な隣人の無惨な死体を生むことになりかねないのである。
 を忘れるな。甘く見るな。
 Memento MORI!
 常に死は機会をうかがっている。
 だからこそ、なにも自分たちで死を呼び込む必要もない。

 もしも人類が完全に戦争を放棄できたとき、社会は新たなレベルへと駆け昇ることであろう。

 ひとりではなんともならぬ。
 だからこそ、それぞれの一個人が意識を高く持って歩み続けなければならない。
 広島を忘れるな
 そしてイラク戦争でなにもできなかった無念さを忘れるな
 その身近な一歩から、すでに戦争回避の戦いは始まっているのである。
 

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