›2004年 9月 13日

[ 範疇 : 哲学 ]

世界の中心で愛を叫んでなさい

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 「世界の中心で愛を叫ぶ」という作品が世間を賑わせている。
 レンタル屋のオイラにも他人事ではない。
 2004年12月23日リリース
 
 …クリスマスには「ダイハード」だろうが!
  
 とりあえずテレビや雑誌を読まず、ラブストーリーを毛嫌いしている私には「縁無き衆生は度し難し」ってな雰囲気なんですが、世間の動向をチェックするためにも、意を決してあらすじを読んでみました。

 以下、オイラの編集版。

高校時代につきあった彼女が白血病で死んでしまい、その思い出に取り憑かれた中年男性が、故郷へ戻ることになり、複雑な想いに整理をつける。
 以上。
 
 こうして概略を読むと、もうあまりに凡庸だなぁと思うわけですよ。
 でも、上の概略を読んで泣く人は皆無だと思われるわけで、やっぱり文章表現上のテクニックによって読み手は泣かされているわけで、あるいは視聴者は役者の演技とカット割り、編集の技術によって泣かされているわけで、もはやストーリーが凡庸かどうかなどはラブストーリーやヒューマンドラマにとっては大した問題じゃないのだろう。
 
 映画なんかもそうですよね。
 私が号泣した映画は数多くあるけれど、んーと、たとえば「八甲田山」なんかは馬鹿上司の命令によって死を覚悟して旅立ち、やっぱり死んでしまう話だし、「南極物語」は死ぬと思っていた犬が生き残っていたという話だし、やっぱり概略だけ聞くと「なんだそりゃ?」という気持ちになってしまうだろう。
 高名な「ロミオとジュリエット」なんて婦人週刊誌の記事かと見紛うレベルだもの(笑)。
心中!? 血闘!? 悲恋の末の惨事!
犬猿の仲の名家に起きた惨劇!
婚約者と元カレが決闘、そして悲劇の恋人たちは…

 しかし、何故に人は泣くのだろうか?
 いままで分析して来た結果、とりあえずストーリーに泣いているわけではないことはわかってきた。
 ぶっちゃけ、人間は他人のことでは泣けない存在であるはずだ。つまりは他人のエピソードでも、それを自分の問題として想像したときに初めて人は泣けるのではないだろうか。
 
 もちろん私が道徳の副読本みたいな「他人の気持ちのわかる人間になれ」系の教説をブツわけはない。むしろ「他人のことは原理的に理解し得ない」と認めているくらいだから。
 しかし、いかに他人に起こった事件でも、まるで正真正銘、自分が渦中に置かれている問題かのように錯綜することが人間はできると思うのだ。そして、それは自分自身が現在、どのような状況に置かれているかを認知する方法・手段と密接に関わっている。つまり、その認知方法と同じような情報を与えられれば、人間は自分が関与していない問題でも、まるで自分の身に起こった出来事かのように感じることができるのである。
 ここらへんは誤解が多くなされ、浅薄な理解しかされないくせに軽蔑されそうなので警告しておきます。じっくり読んで下さい。
 
 それは自分の身体の範囲を定める「身体イメージ」の構成と同じように、大脳辺縁系が鍵を握っているのかもしれない。いわば想像力を越えた「実感力」の問題だ。
 つまり、小説家は、たとえば詩人のように言葉の組み合わせで聞き手を催眠状態にし、錯覚させ、刺激し、涙を誘発させるのである。
 
 だが、それでも問題は残る。
 その涙は何処から生まれるのだろうか?
 その涙を誘発した悲劇的な状況は初めて聞いたものかもしれないのに、人間は泣くことができるのである。
 ぶっちゃけ、俺は南極で犬を置き去りにしたことなど一度たりともない!
 そして犬を一度たりとも愛したことのない人間でも「南極物語」を見ればスコールのような涙を流すことは想像に難くないのである。何故だ!?
 なんとなくチョムスキーの言う「プラトンの問題」にも似てきたけれど(笑)。
 
 そこらへんは比喩を用いることのできる人間存在の能力なんでしょうね。
 きっと普遍文法のように脳味噌の独特の処理体系が、そのような能力を可能にしているはずです。いまのところ研究途中なんで、ここらへんでお茶を濁しておきますが(笑)。
 とりあえず「世界の中心で愛を叫ぶ」という本を理解できて共感できたという段階で、既に貴方はそういう恋愛を経験していたと言えるわけです。だって共感できるんでしょ? だったら柴崎コウみたいに「泣きながら一気に読みました。私もこれからこんな恋愛をしてみたいなって思いました。」などと書く必要はないわけです。だって体験しているんですもの。
 
 ちなみに「何故泣くのか」という問題の生理的理由については私はノータッチです。
 むじなも君にでも聞いて下さい。
 
 どうでもいいけど、テレビ版映画版原作って、どうやら話が微妙に違うみたいですな(;´Д`)個人的にテレビ版は無駄なエピソードを盛り込みすぎて駄作決定。
 

片山 恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』小学館¥1,470

 
 ついでにTV版で演出していた堤幸彦のブログには、素敵な空の写真が満載で、こっちの方が私は心洗われて好きですね ヽ(´ー`)ノ いつも心に太陽を!

Comments

Bj?rk聴きまくってるね〜。
あたしも聴きたい?

Posted by: のびこ at 2004年09月15日 20:39

いま、ビョーク女帝の個人的ベスト盤を作成しているのさ。いやはや、秋の空気を感じて鬱になりそうなんだけど、おかげさまで持ちこたえてます。
頑張ります。

Posted by: 管理人 [URL] at 2004年09月16日 05:25

 セカチューを擁護するわけじゃありませんが、人はストーリーで感動しないと言われると僕の沽券に関わるのですこし反論させてもらいます。
 5W1Hってご存知ですか?文章を書く際の基礎中の基礎テクニックで、もちろん論文やシナリオ、小説などにそのまま応用できる(って言うか基礎なので自然とそうなる)テクニック(?)があります。まぁ、面倒なので説明しません。
 5W1Hは文章、戯曲を読み解く際も使えます。書くときに使うんですから当然ですよね?この5W1Hに則った形が文章(戯曲)の最小単位だと僕は考えています。
 では「南極物語」を例に考えてみましょう、「人はストーリーのどこに感動するのか」。ちなみに僕は件の映画は未見です。これから見る気も無いです(笑)。
 「南極物語」を5W1Hに分解するとこうだと考えられます。
 犬が、なんか知らんが昔に、南極で、なんか知らんがやむを得ず、置き去りにされた。しかし(そして重要なのがHにあたるHowです。どうやって?)頑張って、生き残った。
 ここで働く感動の力学は犬が頑張った事にあるのです、それを抜かしちゃ身も蓋も無い。
 「犬が頑張った」、穿った見方をすれば「犬の癖によく頑張った」的な感動があるのです。そこに「いいひと」を演じる高倉健(でしたっけ?)が加わり「感動の再会」でクライマックス!なわけです。
 伝わったでしょうか、感動の力学。人は他者が問題にぶつかり、それを乗り越えようとする「様」に心を動かされ、涙したり、笑ったりするのです。ストーリーに「感動」してませんか?涙の場合それは共感だったり自己の投影だったり哀れみだったりと様々ですが。映画会社はあざとく「どう泣かすか」を計算してますよ。
 少なくとも、脳みそは関係ありません。想像力、読解力の問題。セカチューで涙する輩は読解力の不足です。

Posted by: シナリオライター見習い at 2004年09月22日 10:07

 んー、恐らく「ストーリー」という用語に誤解があるようで、論点にすれ違いが起こってますね。
 5W1Hは、まあ、人間状況を説明する際の基本中の基本だというのは私も理解しています。中学生の作文指導で口酸っぱく教えていたこともあります(笑)。
 が、本文中でも繰り返したように、やはり他人の状況を知らされたごときでは人間泣けないと思うんですよ。それほど他者との壁は険しいものです。
 では、なにに泣くか。
 それは、作家なり戯曲家なりが、5W1Hを事細かに書き記し、他者の状況であったものを、読者が自分の5W1Hと錯覚したときに初めて泣ける…というのが私の意見です。だから、どんなにストーリーが良くても、それを表現する人間の腕が悪ければ、誰ひとりとして感動させることはできないわけです。
 たとえば、5W1Hをただ羅列するだけのチャートを見ても、それだけで泣ける人は珍しいくらいだと思います。また、逆に5W1Hが不完全で、WhenやHowがなくても、その前後の状況を提示されるだけで勝手に類推して泣き出す人もいます。
 つまりは、提示された「ストーリー」ではなく、それを自分自身の中にとりこんで改めて解釈し直した「ストーリー」に感動するといえるでしょう。
 
 たとえば接客中に大声で「態度悪い」とお客さんに罵倒された場合を想像して欲しいのですが、当の本人は涙なんか見せなかったのに、隣で見ていたオッサンが半泣きになってウルウルしていることなんか十分にありうる話じゃないですか(笑)。あれなんか可愛い女の子が罵倒されて、さぞやツライだろうと勝手に心中を察してオッサンは泣いているはずなんです。つまりオッサンは勝手に、その女の子の立場で考えているってわけですね。
 でもって、たぶん小説などで同じようなシーンの描写があってもオイラは泣くことはないと思うんです。きっと泣けません。さらに言えばオイラが同じ状況に立たされたとしても泣くことはないんです。きっと怒りでプルプルしながら接客を続行するはずです。
 あくまでも、そういう状況下において、その人物の心理的傾向やらキャラクターやらを踏まえた上で、その女の子がどのような心理状態なのかを想像することでオッサンは泣いているわけです。たぶん。
 
 ここらへんが共感能力の面白いところで、さらには哲学的に自他問題を切り開くヒントにもなるかと思っています。なにせ、この記事のカテゴリーは「哲学」ですし(笑)。
 とりあえずは用語をもう少し整理する必要がありそうですね。
 
 こういうコメントは面白いので大歓迎ですから、また少しでも疑問に感じたことがあればビッシビシ書き込んで下さい。
なお、2重書き込みに関しましては削除しておきました。
 
 
 
 

Posted by: 管理人 [URL] at 2004年09月22日 16:24

 二重書き込み削除サンキューです。
 なるほど、人は何故共感するのかということなんですね。論点のズレはなんとなく感じてました。(藁)それならきっと脳みそが関係しますもん。
 結構つっこんだ感じなんで海月さんの気分を害しちゃいないかと心配してたんですが、そんな事なさそうでよかったです。
 ちなみに昨日お客に理不尽な理由で切れられたんですが。それを横で見てたお相撲さんに後で慰められました。

Posted by: シナリオライター見習い at 2004年09月24日 10:10

 先ほどまで雨に打たれながら一緒に酒を呑んでいたクラゲ庵です(笑)。
 ご指摘の通り、問題は共感能力なんですよね。で、共感しなければ感動もない…っつーのは暴論ですかね。
 でも、確かに共感などまったくできないけど、気になって仕方がないって作品もあると思います。映画では「覇王別姫」や、小説だと「人間失格」など。
 あれは「賛成」はしていないんだけど、「共感」はできている、というのが私なりの意見になります。オイラ自身の人格には用のない無駄なエピソードなんですよ、確かに。でも何故か気になる。
 それってシナリオライター見習いさんが現在研究中のユングとかにつながりそうだなあと思っています。如何でしょ?
 
 なお、コメントされて気分を害すことはよほど議論ができない人じゃないかぎりありえません。そんなんで憎悪の炎を燃やしていたら、哲学なんかできません、マジで。
 たまに宗教的に自分の意見以外は絶対に認めず、論証も見ずに切り捨てる馬鹿もいますが、そういう態度に対しては猛烈に怒りはじめ、関係性を完全に断ったりはします(笑)。
 あとは用語を振り回すインテリ気取りは嫌いです。でもオイラもいいかげん用語を整理しないとな(;´Д`)ちと勉強します。はい。

Posted by: 管理人 [URL] at 2004年09月25日 04:17
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