
ファイル共有について以前、ちょこっとだけ触れたが、それから数ヶ月が経ち、すっかり飽きてしまったのは、ここだけの話である(笑)。
まずwindowsユーザーならば、WinnyやWin MXという有名なツールがあるため、利用している人も多いことだろう。…つーか、多すぎ(;´Д`)うざい。
一方、高貴な血の流れるマッキントッシュというパソコンを利用している人たちは、以前はこういったP2Pクライアントは利用できなかったものの、時代はOS X時代。ようやくいくつかのツールが登場するに到った。それがXNapであり、LimeWireであり、その他、さまざまなツールの数々である。ぶっちゃけ、Classic環境でも作動する共有ツールがあったりするわけで、いやはや時代は流転するなぁとの感慨も深いんですが…(笑)。
そんなこんななファイル共有だが、残念ながら世間で注目されているのは「ファイルが無料で手に入る!」などという私利私欲に暴走する貧乏人みたいな側面ばかり。おそらく先祖は米騒動の時などに「タダだから」という理由だけで騒ぎに乗じた類いの人間なのだろう。それでは血眼になって逮捕者をあげようと躍起になる馬鹿企業と同じ穴の狢だというのに…。
物欲に乏しい私のような人間が、ファイル共有を手放しで絶賛するには、もっと深い理由があるのです。
ファイル共有をしたことのある人間なら誰でも知っているであろうが、まず共有されているファイルの数々には驚かされる。
ざっと種類を挙げるだけでも、音楽からエロ動画、アニメ、漫画、映画というメディアコンテンツはもちろん、高価なアプリケーションやゲームなども当たり前のように流通しているのだ。ばかりか世間的に忌避される児童ポルノや無修正エロ動画なども豊富に共有されている。
もちろん中にはトロイの木馬が仕込まれたり、さまざまな偽物もあることだろう。
だが、その中の一握りに本物がある。それは事実なのだ。
しかし、「無料!」と騒ぐだけあって、そうしたファイルの多くは実際には商業的に販売されているコンテンツだったりするのが現状なわけで、すなわち最低でも著作権法に違反している違法ファイルであることが多い。
そればかりか、存在そのものが違法とされているファイルすらも存在する。すなわち無修正ポルノとか児童ポルノとかの類である。The Whoのギタリスト、ピート・タウンゼントが児童ポルノの所持、閲覧で逮捕されたのは記憶に新しいであろう。
もちろん、児童ポルノというだけで、目を怒らせ、過剰に反応する人も出てくるだろう。
私はここでは児童ポルノの是が非や、児童ポルノ禁止法の是が非は問わない。
ただし、単純所持すらも規制されてしまった状態は、個人の趣味/嗜好の政府による侵害とも考えられるわけで、逆にいえば所持することは政治的活動であり、抵触者は何処に出しても恥ずかしくない立派な政治犯なのである(笑)。
いや、そもそも、なにかを持っているだけで処罰されるって状況じたいが間違ってないだろうか? 児童ポルノに限らず、銃刀にせよ、麻薬にせよ、要するに共同体の他の構成員に影響を及ぼさなければ,単純所持をしていても共同体的には問題はないはずなのである。それなのに、ずかずかと個人の私生活まで土足で上がり込み、個人の空間すらも検閲しようとする。別にオイラが核兵器を持っていようが、他人に迷惑さえかけなければ問題はないだろうに(笑)。
とりあえずは、世間が必死で流通を押さえようとしている違法ファイルであっても、共有によって手軽に入手できる状況がある。それによって、単純所持を悪とする牧歌的な法規制が概念から改められる必要性が生じてくるだろう。
念のために言っておくと、ペドロフィリアの人とか、アダルトビデオ好きの人とかも、個人的には気持ち悪くてかなわんし、知性に乏しい存在である子供にも私自身はまったく興味がないんだよね(´ー`)y-~~
…女性の趣味は多少、ロリコン傾向にあるかもしれんけど(笑)。
まあ、違法だの合法だのという共同体との陳腐な関わりは、些末な問題であって、私がそれよりも問題としたいのは、いわゆるネットの存在により、いままでの「所有」という概念が一変する可能性があるということだ。
こっちの方が重大な事件である。…全人類、注目!!!!
いわゆる音楽やアプリケーションが、データであるという性質を利用して、今までは媒体(メディア)=所有物であったところから、媒体を切り離してしまった
また、ひとりの個人がいて、彼が何かを所有するという、占有的所有の概念すらも変化する可能性がある。つまり所有が共有となり、マルクス主義や社会主義がいう共有以上のものが生まれるかもしれない。
モノに執着する人間のフェティシズムを打破する可能性すら期待できるのではないだろうか。
ファイル共有に対して、既存の所有形式に利権を持つ会社どもは反対し、必死に制限しようと努力する。
また、ネット社会にたいして、いままでの物理的な社会の既存のルールを当てはめようと必死になっている人々もいる。たとえばネットでの誹謗中傷などに対して「新しいルールづくりが必要」と声高に発言する者などは、物質だけで構成されていた古い世界観で、まったく別世界である情報社会を管理しようとしているわけだ。キリストが「新しい葡萄酒は新しい革袋へ」と言ったことを理解していないのだろう。
これからは「モノ」と「コンテンツ」が切り離される時代になる。
所有というスタイルが変わる時代に、なりうる。
ファイル共有ではなく交換だと思っている輩は、既存の概念にとらわれた古い人間であり、フェティシズムの虜、マニア根性丸出しオタクと呼んでも差し支えないだろう。
どうぞ高い意識を持ち、新たなる時代を生み出していっていただきたいものである。