
「クオリア」ってご存知だろうか?
私が初めて、その言葉に出会ったのがラマチャンドラン博士の好著「脳の中の幽霊」であった。

V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー, V.S. Ramachandran, Sandra Blakeslee, 山下 篤子
"脳のなかの幽霊"
それから日本人でも永井均先生やら茂木健一郎というソニーのおっさんやらが、ボソボソと呟いているのを発見するようになった。現在ではミーハーな哲学ファンの輩が例によって騒ぎ立てているようだが…正直、脳生理学に興味の無い連中が「クオリア」にそこまで夢中になる理由がよくわからないのだ…。<私>の問題と深く関わっている? だとしたら<私>の問題なんて、すべてクオリアが生み出したものでしかないだろう。あくまでもクオリアは<私>の問題の本質には関わりのないものだと私は考えている。
それはさておき。
クオリアとはなんぞや?
くわしくは茂木のサイトを参考にしていただきたいが、簡単に言えば「事物を感覚した時に感じる生々しい質感」を指す言葉である。
たとえば視神経や視覚皮質あたりに直接、赤色を感じるような状態を用意できたとしても、そこには、いま、まさにここに実際に存在する赤色を見ているときのような生々しさを感じることはないだろう。
それがクオリアである。
私なりの理解が正しいならば「離人症の時に失われる現実感」と言っても差し支えないだろうと思われる。
とにかく、昨年頃から、このクオリアというものが私の中で大問題になってきているのだ。
さて、私には写真の趣味があることは御存知だろうか?
愛機はクラシックカメラと侮蔑されるAsahi Pentax Spotmatic Fという一眼レフで、完全非オートマティック、フラッシュはアタッチメント装着っつー、なんとも時代を感じさせながら、持ち運ぶには体力も必要になる一品(笑)。つーか、さすがに重い(;´Д`)
いちおうデジカメは同級生から7000円で買ったFinePix1300を使用しているが、これも重い(;´Д`)まあ、趣味と筋トレを兼ねていると考えれば厭でもないのだが…。
そんな素人写真愛好家の私を襲った悩みというものが、クオリアなんです。クオリア。
私が好きな写真は、いわゆる街撮り写真というもので、自分も含めた人間たちが平凡ながらも送る日常というものに限りない愛情を感じ、それを保存したいという思いの元に街角の風景や生活の様子などを撮影していたわけだ。
ちなみに「街撮り」というと、アダルトサイト的なフェティッシュな写真やら、あるいは街に転がっている事物を撮影したものなどと誤解されそうだが、私が愛情を感じるのは人間の生命であり、その舞台となる街を背景にした時に輝き出すと考えているのである。たとえば、Fantastic Camera Galleryさんで紹介されている写真などは私の趣味にかなりドンピシャだったりするし、荒木経惟の撮影した写真などは理想型だったりする。とにかく、そういった人間たち、そして街という生き物のエネルギーを撮影しようと私はシャッターを切っていたのであった。
だが、いざ現像に出してみると…なんだか結局は平凡な写真でしかなく、そこらへんの中学生が戯れにシャッターを押したかのような面白みのない写真だけが並べられるという散々たる結果になってしまうのである。
何故だろう? ひとつには私の写真技術、特にフレーミングが下手という大きな理由はあるだろう。だが、私は絵画のように上手に切り取られたデザインではなく、いま、まさに感動を受けている、この街の姿を撮影したいとレンズを向けていたのではなかったのか!? 私は絵画的に美しく構成されたパーツに感動しているわけではないのである。いわば包括的な街全体の雰囲気に感動を覚えているのである。だから、遠距離から絞りを無限に解放して撮影することになる。すると見事に凡庸な写真の出来上がりとなるのである(;´Д`)
私の撮影したいものは、クオリアだったのだ!*
写真技術の上級者は、たとえば街の中に存在するパーツを上手く切り抜く事で、全体的な街の雰囲気を濃縮して語らせることができるのだろう。そのための構図や、道具使いに卓越しているからこその技だということもできるだろう。
だが、だからといっても、その時に私が受けとめた街の手触りを伝えられるわけではないのである。
それ以来、私は街撮り写真をやめてしまった。
今では専ら、猫や友人たちのポートレイトを撮影するようになった。そして時折、気がついたように街角の静物を撮ることもあるが、雑踏と人間たち、そして街という構図では撮影したことはない。
クオリアは撮影できるはずがない。論理的に不可能だからだ。
つまりアプリオリに無理!!ってことだ。
ただし、あの時、その場所で私が感じ取った街の息吹は忘れられない。
あのドキドキする感動、興奮を、いつか誰かに伝えられたら…と願い続けてやまないのである。
街に幸あれ。人間よ、永遠に。
そして街よ、貴方はいつも美しい。
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ちなみに「クオリア」って言葉で、包括された概念とか、連想、意味、記号などを混同して語るのは、──誤解している人もかなり多いが──明らかに間違いです。たとえば、そこらへんに箱が転がっている時に、問題とされているのは箱の外観なのに、中身についても語ってしまうような誤謬っぷりですので、充分に気をつけてください(笑)。
ってことで種明かし。
私が撮影したかったのはクオリアだけではありません(笑)。
エピソードです。