›2004年 2月 26日

[ 範疇 : 身辺雑事 ]
[ 範疇 : 倫理の小道 ]
[ 範疇 : 哲学 ]

ノゾミ

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 バイト先でしばらく前に人事異動があったため、新しい店長がアルバイトたちを理解しようと面接が行われることになった。
 で、私も先日、行ったわけなんですが…。
 こんな質問があった。
 
 「将来は何をするつもりなの?」
 
 オイラは愕然としてしまったわけで。

 俗にいえば将来の夢なんかを聞かれているのだろう。
 だが、ふと考えて、オイラにはそれほど特定の職業に就きたいとか、何処かの一流企業に入社したいとか、あるいは有名になりたいとか、そういった「夢」みたいなものがないことに気がついてしまった。
 
 あえて言うならば「良い人間になりたい」のです。
 
 しかし、残念ながら「男らしく仕事で自己実現!」みたいなことは毫も考えていなかった。
 サラリーマンとかが愛読する自己啓発本なんかには「夢も持てないような人間は、男として幸せを与えることもできない」みたいな体育会系かつ全体主義的な旧態依然としたスローガンが掲げられていることも多いわけで、そういった単細胞な価値観に染まった人々には嘲笑される恐れもあるが、やはり仕事ごときで自己実現だなんて馬鹿馬鹿しすぎやしませんか?
 退職したりリストラされたりして、生き甲斐を失ってしまい自己喪失から鬱病になる人も多いですけど、それらは自分のアイデンティティを、すべて仕事に賭けていたことが原因になっている。
 オイラは社会と切り離された地点でも、そしてもちろん社会でも成立するような「生身の自分」と向かい合いたいと考えている。
 
 もちろん私も立派な俗物なので、現世的/即物的な欲求も持ち合わせている。
 歯医者に行くために健康保険には加入したいし、Macの内臓HDDを買ったり、CDを買ったりするための小銭は来るもの拒まず状態で24時間受け付けている。酒も飲みたいし、美味しいラーメンも食べたい。あとはダラダラと海外をボヘミアンよろしく生活していきたいんで、とりあえず都心に土地でも所有して、そこに賃貸マンションでも建てて、その店賃で一生働かずに遊んで暮らしていけたらいいな、とも思っている(笑)。
 だが、あまり派手な欲求はなかったりするのが現実である。
 
 世間の人が、どのようなことを夢や理想とするかは、たとえばエロ雑誌の背表紙なんかに良くあるような「開運キーホルダーで大成功!!」みたいな広告を分析すれば、だいたい理解できるだろう。あるいは黒魔術や小学生に大人気の「おまじない」、伝統的なものでも神社仏閣で販売されているお守りなども人間の欲望が網羅されている感じで面白い。
 ざっと挙げて見よう。
 末端価格:1億円さんの「エミールホルダーってなに?」という記事を参考にしてみると、この開運グッズの効果の対象は以下のように整理できる。

  • お金:金運、財運、商売
  • SEX:恋愛、結婚、痩身、美顔
  • 社会評価:仕事、学業、運動、試験、人気、友人、才能、進路
  • 健康:美と健康、体調、爽快、安眠
  • 自己啓発:勇気、希望、得(直感力)、全体運

 多少は強引に整理したところもあるが、まあ、人間関係の悩みなども社会における自己評価を問題にしていると考えられるし、全体運なんかは全体的に自分を変えることにもなるんで、ここらへんで許してください(笑)。
 で、ひとつずつ考えていくとしよう。
お金:
 あるに越したことはないんだけど、まあ、酒と音楽とMacくらいにしか使い道がないからなぁ(;´Д`)適度にあればいいのです。
SEX:
 たま〜に「可愛いなぁ」と思うような女性はいたとしても、だからといって特別に何かをしたいとは思わない。眺めているだけで充分。そんなに不特定多数の女性とSEXしたいならAV男優やエロ雑誌の編集者になればいいわけだ。
 「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」…ってくらいに女の色香ほど移ろいやすいものはないわけで、そのような不安定な現象に固執する気は毛頭ない。無常なるが世の理なれど、無常に溺れるよりは、無常を無常せしめている唯一のものに固執したいと、無常に属する我が身は思いまする。
社会評価:
 まず理解を深めるために適当な場所で高校生たちを観察してもらいたい。
 彼らは通りすがりの子供や中年などには無関心なのに、自分と同世代の人間を発見するやいなや、ちらちらと視線を送り、同性ならばガンを飛ばしあい、異性ならば嬌声を挙げたり、妙に虚勢を張ったりと意識するのに忙しそうである。同一の社会に属すると判断した瞬間から人間同士の仁義なき比較/競争が始まり、必死に自分を優位に格付けしようと高校生ですら足掻いているのだ。
 社会評価が高いということは、そのまま力を持つことを意味する。それは事実。
 だが、特定の他者との関わりでしか自分を確定できないなどというのは寂しいことではないか。完全に他者を切り離した自己もありえないが、評価されなくても存在してしまう自分というものを大切にしていきたいものである。
健康:
 身体はすべての資本。
 ゆとりがなければ、精神の充実も困難である。だが不可能ではない。
自己啓発:
 自分を変えることは良い。
 問題は自分を変えるための評価基準をどこに設定するか、だ。それが他者のまなざしに根ざしている以上は、社会評価の項で論じたことと同じ結果を導き出さざるをえない。
 
 なんだかんだ言っても、人間は寂しいんだろう。
 そして集団を形成しては、その中で高い位置を占めるべく、他者を蹴り続ける。
 私は、まずは他人を切り離して、純粋な自分を見つめていきたい。
 その上で、どうしても他者が必要だと気がつくだろう。
 それから求めるような他者は、恐らく今の私が求める他者とは姿も性質も異なっているはずだ。
 それが愉しみでならない。
 
 私は「良い人間になりたい」のです。
 
 ちなみに「良い人間」といっても、良く言われるような「いい人」になるつもりはない。
 それは他者にとって都合の良い人間でしかない。
 ぶっちゃけ他人などどうでもいい。
 もしも、私の倫理が他人を傷つけることにあるならば、私は恐れず他人を傷つけて生きていくだろう。

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