›2004年 2月 20日

[ 範疇 : 身辺雑事 ]

書影

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 Amazonをしゃぶりつくすプラグインを入れてみたので実験。



Name::Tractatus Logico-Philosophicus (Routledge Classics)
Publishing::Routledge
Authors::Ludwig Wittgenstein, David Francis Pears, Brian McGuinness, Bertrand Russell
Price::¥ 14,357
Availability::通常3??5週間以内に発送


 
 うーん、タグの途中に日本語を入れると素敵に文字化けするみたいだな(;´Д`)とりあえず放置。
 なお、Amazon関連の記事はここにあります。
 そんなことよりも俺の悩みを聞いてくれ。

 ずっと以前から悩み続けていることがひとつある。
 (1)たとえば最近、掲載した「禅的実存主義への誘い」という記事を読んでもらえばわかると思うのだが、基本的には私は、人間の吐き気を催すような醜悪な部分や、目を背けたくなるような汚い部分をも認めようと思っている。つまりは些細なことに一喜一憂し、脳髄の奥から来る動物的な指令に身を委ね、異性の尻を追うような単純浅薄な行動すらも「人間らしい」と賛美するのが、私のスタンスであったはずだ。性犯罪者も聖職者も子供も動物も、すべてを一緒くたにして美しいと思う。それが私であったはずだ。
 ところが私の内面にはもうひとつ、別の価値観が潜んでいるらしい。
 その価値観は愚かしい人間の感情的行動を否定し、刹那的な価値に身を委ねることを嘲笑する。行動は結果を予測してから行うべきで、すべてに対して思慮深くあることを求める。そして永遠普遍の安定を夢見て、他人とは切り離された地点に自分を立脚しようと妄想し続けているのだ。
 いうなれば枯れ果てた隠遁者として、世界のすべてを見つめようとする視点。
 だが、それが人間の姿でないことくらいはわかっている。
 だからこそ、以前の私は「人間らしく醜く、汚く」と口を酸っぱくして繰り返して来た。
 
 …どうやら、少しずつ価値観がずれてしまっているらしい。
 これが年齢を重ねることだと言うならば、私は今すぐにでも命を絶ちたいくらいだ。

(2)私は人間がものすごく好きになることがある。でも、ある時は逆に世界中のすべてを憎み嫌うこともある。どっちともいえない。周囲に人がいると邪魔だと思うときもある。ひとりだと寂しくて寂しくて、なにをするわけでもなくダラダラとネットに埋没して、無為なるままに時間を過ごしてしまうこともある。
 
(3)
今月の美術手帖を立ち読みしてみた。女性芸術家を特集したもので、草間彌生を筆頭に、児嶋サコなど、作品を真剣に捉えれば捉えるほど、なにか人間の深淵を覗いたかのような形容しがたい恐怖に脅かされ、思考もできないくらいの混乱状態に陥らされるのだが、やっぱり、どうして、女性が女性であるという運命を見事に表現しているなぁということと、それを巡る評論とのギャップ、嘲笑する逞しさ、エネルギー、そして自己顕示欲にクラクラと目眩を覚えたりするのです。
 私が最も嫌悪するものは、その「自己顕示欲」というもの。
 要するに、私が嫌いな人に対して暗に行う嫌がらせは、そういった自己顕示欲をわざと満たさないように行動することだったりするくらいで、つまりは人間にとっては切り離せない病のような感覚すらあったりします。
 でも、それを否定してみたとして、誰しもが自分を優先しない、自己主張しない、他人と競わない、そんな社会は…どうなんでしょう。つまらない/面白いよりも先に実現不可能なのではないだろうか、それは死の世界なのではないだろうか…と頭を悩ませているわけです。
 
 
 つーことで、筆の進むままに(ちょっと自動書記めいて)書き殴ってきたわけですが、これら3つの悩みは、いずれも根は一緒だなぁと思うわけです。
 倫理と論理。
 
 …あー、まだ病は癒えないようだ(;´Д`)
 他には歯が痛いし、指が怪我しているし、花粉症がつらいし、金はないし、家庭内は安定しないし…と無数の問題はあるんだけど、そんなことはどうでもいい。瑣末なことだ。
 俺は人間として生きていきたい。

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